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石の狛犬が参道に現れたのは【建久7年(1196)】奈良東大寺の南大門の中で、運慶工房作<金剛力士像>裏側に建てられている、中国の石工が大理石を本土から取り寄せ彫り上げた、中国の様式で彫られ共に口を開けた姿・瓔珞(ヨウラク胸飾り)・縦置きの配置等、現在の中国獅子につながるデザインだ。
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石の狛犬が量産されるようになったのは、福井県三国地方で産出される笏谷石で彫られた狛犬で、江戸時代以前から、北前舟により日本海沿岸から愛知県まで運ばれていた。
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徳川家康の死後、江戸(東京)と浪速(大阪)で前後して狛犬の奉納ブームが起きた。 東の狛犬は神奈川県真鶴から産出する小松石を使用し、西の狛犬は和泉砂岩が主で大阪近郊から産出する花崗岩でも狛犬を生産していた。 江戸時代中期に出雲地方で来待石による狛犬作りも始まり、北前舟により日本海沿岸に広く運ばれ、量産型狛犬は江戸・浪速・出雲の三大産地ができた。 幕末までは順調に生産されていたが、明治維新を迎え狛犬奉納が一時的に途絶えた。
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時代は明治と変わり狛犬の需要も少しずつ回復したが、明治三十年頃から本格的な奉納ブームが始まり、大阪の狛犬はモデルチェンジを行い近県に販売路を広げ、名古屋以西まで広く建てられていた。 大正時代までは盛んに彫られていたが昭和になり、和泉砂岩の採石が途絶えた為、砂岩製の狛犬は途絶えた。江戸で彫られていた狛犬も花崗岩に変わり大きく形を変えた、昭和十五年(皇紀2600年)以後戦争のため狛犬奉納が途絶える。
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約二十年間途絶えていた狛犬奉納が増え始めたのは昭和三十五年頃からで、岡崎産地の量産型が日本各地に出荷されるようになったが、大正初期にデザインされた酒井孫兵衛狛犬を継承する職人が絶えてしまい、マニュアル通りの個性のない狛犬ばかりになってしまった。
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